どうも
貧乏サラリーマンのチップです。
我が家には3人の子どもがおりますが、
長男は「卵・乳のアレルギー」
次男は「卵・乳・小麦・大豆」
長女は「卵」をかかえていたアレルギー家族です!
「かかえていた」という表現なので若干影響は残っておりますが、今では普通の子に近い食事ができるようになっています。
幼児期は長男・次男は年齢も近く、アレルギーもあり毎日が本当に大変で育児ノイローゼに近い状況に陥ってました。
次男は特に症状も重く小学6年生になった今でもまだ完全には治っておらず、定期的な病院通い、除去食で対応しています。
今回は「アレルギーを持つ子」について親の葛藤、苦労する部分を紹介したいと思います!
- なぜ食べ物アレルギーになったのか
- アレルギーに気付いたキッカケ
- 幼児期の食事は大変だった
- 保育園での対応
- 小学校での対応
- 一番危ないのは大人
- 乳児湿疹で偏見の眼差し
- 小児喘息との戦い
- アレルギーも個性のひとつ
- アレルギーをもつ子の親へのアドバイス
なぜ食べ物アレルギーになったのか
ごめんなさい。
完全に私のアレルギー体質の遺伝です😭
あくまでも我が家のケースですが、完全に私の体質を受け継いでおり遺伝の可能性が非常に高いそうです。
私は今でもアレルギー性鼻炎に悩んでおり、起床後の日課は鼻炎薬を飲むことです。
小学生時代は喘息で入退院を繰り返しておりました。
食べ物アレルギーはなかったのですが、なぜか子どもたちには現れてしまいました。
食べ物アレルギーの赤ちゃんは増えており10人に1人は発症しているそうです。
食生活の変化とアレルギーを起こしやすい食料をよく食べるようになったのが原因と言われています。
また食べ物の種類として「卵・乳・小麦」が3分の2を占めているそうです。
アレルギーに気付いたキッカケ
なぜアレルギーに気付いたかというと「乳児湿疹」がひどかったから。
そこで血液検査をしてみてアレルギーと判明。
3人とも顔に湿疹ができてました。
常にこういう状況で、まだ良い状態の画像です。
幼児期の食事は大変だった
アレルギー食品を口にすると顔から始まり、全身にブツブツがあっという間にできる。
ひどい状態だと呼吸も怪しくなるレベルでした。
食事には特に神経を使い、基本的に卵や乳製品が含まれている加工食品はNG。
加工食品は原材料を確認して購入。
特に卵は5年間ぐらい購入することがないぐらい除去してました。
加工食品は含まれている成分が少ない物から少量だけあげて様子をみる。
➡︎湿疹でなければ量を増やしてあげる。
➡︎それで今後大丈夫かどうか判断。
こういう感じで口にできる食べ物を増やしていきました。
かわいそうだったのが
ケーキ、パン、アイスクリームといった子供が好きな物が食べれない。
アレルギー対応のケーキを始めて食べた時の嬉しそうな顔は、忘れることができない思い出です。
嫁も食事作りは大変だったと思います。
本当に感謝です!
あの頃の日課はアレルギー対応のパン屋さん巡りをして、子どもにパンを買ってあげることでした!懐かしいな
保育園での対応
本当に良くしてくれて感謝です。
給食もアレルギーの子に合わせて特別に作っていただきました。
友達にも注意換気してくれて、うちの子には勝手にお菓子あげたらダメなんだよ。と小さい友達たちにも理解させてくれ助かりました。
保育園では親がやることは特になく甘えっぱなしでした。
小学校での対応
長男、長女は小学生になる頃には、症状も改善され除去食は必要なし。
次男は今でも除去食と万が一に備えて、学校に薬を預けてます。
食事は小学生からは代替品はなく、自分で用意する必要があります。
対応してくれたのは、牛乳⇒豆乳に変更したぐらい。
毎月献立表をチェックし先生たちに渡して、給食前に確認はしてもらってます。
アレルギーの食材がでる際は自宅よりおかずを一品とか作って持参させてます。
嫁の気遣いで「ハンバーグ」が食べれない場合は「卵が入ってないハンバーグ」を作って持たす。
子どもが周囲と違うメニューにならないように基本同じメニューを作ってくれてます!
小学生からは先生たちの対応も様々で、何度か対応が悪い先生もいらっしゃいました。
何度かは誤って食べてしまい、慌てて病院に担ぎ込まれることもありました。
小さい子に自己責任って言われても...
先生の気持ちも分からない訳ではないので責めにくいし。
一番危ないのは大人
アレルギーの子をもって分かったのが、一番危ないのは理解してくれない大人です。
食べさせないと慣れないよと、謎理論を振りかざし勝手に食べ物をあげたり、悪気はなくお菓子をあげたりと何度もヒヤッとする場面があったのは事実です。
そういう大人を理解させる為には「湿疹がでている時の画像を見せる」ことでした!
想像以上の状態になるのを理解するのは見てもらうのが早いですね。
ちょっとでも口にすると画像のように蕁麻疹のようなブツブツが顔にでて、ひどい状態になるとあっという間に前進に広がっていました。
また今でこそスーパーの試食コーナーは親の同意を必要としますが、ひと昔前は関係なかったので勝手に試食するなと子どもに念押ししてましたよ。
アレルギーを持つ子に試食コーナーは危険区域です!
乳児湿疹で偏見の眼差し
幼児期は常に顔中に湿疹がある状態でひどい時には両方のほっぺにガーゼを貼ってることもありました。
顔を引っ掻いてしまうので手にはいつも手袋。
外出すると嫌でも目につく湿疹
すれ違う人々の視線、ヒソヒソ話。
毎回説明するのも面倒。
私自身は気にしませんでしたが、神経質な嫁はストレス溜まりまくり。
出かけるのも億劫になる時期もありました。
小児喘息との戦い
だいぶ良くなりましたが、本当に幼児期は喘息との戦いでした。
ひどい時には毎月のように、長男か次男のどちらかが入院。
同時に入院することも何度かありました。
幼児なので親の完全付き添いが必要、もちろん仕事をしながらなので親もクタクタ。
私も喘息経験者なので、子どもにあの苦しみを味わせているのが辛かったです。
嫁は喘息の苦しみが分からないので、危機感に温度差があってイラッとすることも。
夫婦間のストレスもあの時はピークでしたね。
アレルギーも個性のひとつ
なぜうちの子だけとか、もう嫌だとか、いろいろと考えることもありましたがアレルギーがあったお陰で五体満足に感謝できるようになりました!
次男は今でもアレルギーがありますが、それも個性として本人も割り切っており、悩んでいる感じもないので良かったです。
牛乳や卵も少しずつOKはでているのですが、心理的に受け付けないみたいなので無理強いはしないで根気よく付き合っていこうかなと思ってます。
アレルギーをもつ子の親へのアドバイス
子どものアレルギーの9割は成長と共に治るらしいですよ。
幼児期だけの特別な時間を過ごせると思って焦らずマイペースで!
周囲の意見も気になると思いますが頼る所は頼って、気にしないところは気にしない。
子どもに愛情を注いでいけばいいと思います。
全ての事は良い思い出に変わります!
私たちも、あの時は毎日が必死で苦しい日々でしたが、今となっては家族での笑い話。
子ども達とアルバムを見て「お前たち大変だったんだよ~」と懐かしんでいます。
応援よろしくお願いします!